輝け!憲法9条。 2008年春、9条ピースウォークに共にとりくんだ          湘南の仲間の自由な広場です。(2009年3月、BLOG名称を変更しました)


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梅原猛さんのメッセージ 


b0131214_11414386.jpg2010年6月19日、日比谷公会堂

「井上ひさしさんの志を受けついで
~九条の会講演会~日米安保の50年と憲法9条~」


会場いっぱいの2000人超の
参加で大きく成功


○大江健三郎さんの講演
○奥平康弘さんの講演
○井上ユリさんの挨拶
○佐藤修三さんによる井上作品「吉里吉里人」の朗読
○梅原猛さん・鶴見俊輔さんのメッセージの紹介
○澤地久枝さんの講演
○小森陽一さんの「よびかけ人会議」の報告

などの内容でした。
滅多に見られない梅原猛さんの長めのメッセージをご紹介します。


梅原猛さんのメッセージ

このたびの井上ひさし氏のご逝去は私にとってb0131214_11443146.jpg
大きなショックでした。小田実、加藤周一氏に
次いで井上氏が亡くなり、「九条の会」呼びかけ
人のうち三分の一が不帰の人になりました。
特に井上氏とは四十年以上の親交があり、
ひときわ哀悼の念にたえないのです。私が呼び
かけ人の一人になったのは井上氏などの要請
に応えてのことですが、私のようなどちらかと
いえば保守的といわれる人間も呼びかけ人に
加わったほうが、「九条の会」が国民運動として
活動を広げられるのではないかという思いから
でもありました。

私が旧制高校一年のときに徴兵延期が撤廃さ
れ、学徒出陣が始まりました。ときに私は十九
歳でしたが、学業半ばで軍隊に行かねばならな
い運命を深く悲しみました。当時、すでに戦争は
末期的状況で、私たちにも日本の敗戦はほぼ
確実と思われました。そして、この負けるに決まっている
と思われる戦争で自分の一つしかない命をなぜ落とさねばならぬかと深く
疑ったわけです。私が哲学を一生の仕事として選んだのも、そのような
戦争体験がきっかけの一つです。

私は、三年制の旧制高校を二年で終えて京都大学に入り、入学式を終え
て家に帰ると、赤紙が届きました。そして五か月の軍隊生活を経験し、
まったく思いがけなく命永らえて、帰ってくることができました。このような
経験をもつ私は、無謀な戦争に突っ込み、敗戦が確実であると分かっても
戦争を続け、結果的に約三百万人といわれる日本人、及び約二千万人に
のぼるといわれるアジアの人々を殺すことになった戦争指導者に対する
嫌悪の心を今も失ってはいません。

西洋哲学を研究していた私が日本研究に入ったのは、若い私たちを戦争
に駆り立てた国家主義的な日本の伝統思想の理解はまったく間違ってい
て、世界の平和に通じる考えが日本の伝統の中に存在するにちがいない
という思いからでした。五十年間、日本思想を研究してきて、今、日本の伝
統思想の本質がようやく分かりかけてきたようです。日本には平和主義の
伝統が根強くあります。オオクニヌシ、聖徳太子、紫式部、世阿弥などの
思想です。戦後の平和運動の欠陥は、このような伝統思想を、平和を守る
運動に結びつけられなかったことだと思います。

現在の憲法は外国から与えられたもので、日本独自の憲法を制定すべき
という俗論がありますが、憲法九条には日本の伝統思想に通じる思想が
あり、かつカントの永久平和論とも一致する精神があります。「九条の会」
のさまざまな賛同者がそれぞれ異なる信念によって団結して運動を続け、
憲法改悪の動きを封じるべきだと私は思っています。

【文責・茅ヶ崎】
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by syonan-0804 | 2010-06-25 11:45 | 全国的な内容